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リアルワールドエビデンスの今:第3回 日本の事例

Credit: Sitthiphong/iStock/Getty Images Plus

日本でのリアルワールドデータ(RWD)の利活用は民間主導で進んだところが特徴的だ。約20年前にJMDC社やMDV社が創業し、レセプト(診療報酬明細書)データやDPC(診断群分類)データなどを二次利用できるように整えたことから始まり、近年は多様なRWD分析サービスも増えてきた。政府も同時期にレセプトの電子化に伴うデータベース構築を始めるなどRWD利活用に向けた動きは早かったものの、民間が利用できる機会が増えてきたのは最近になってからである(図1)。

政府の象徴的な動きは、2018年に施行された「次世代医療基盤法」である。医療データは要配慮個人情報でありRWDの利活用の大きな壁となっていたことから、個人の権利利益を保護しつつ医療データの利活用を推進するため、個人情報保護法の特例としてこの法律が制定された。しかし、特異値や希少疾患名の削除が必要であるなど制限が多く、産業界からの改善の声が上がっていた。2023年5月、改正法が施行されたことで上述のような制限が緩和され、公的データとの連結が可能になるなど前進が見られたが、依然として一部解決にとどまるとの声が多い(註1)。

2020年には個人情報保護法も改正され、以前は禁止されていた医療機関や製薬企業による仮名情報(個人を直接識別できる情報を取り除いた情報)の利用も公衆衛生例外で可能になっている。

日本発の成果

国はRWDの利活用に力を入れているものの、国が主導するプロジェクトからの成果はまだあまり見えてこない。一方、先んじて二次利用を前提にデータベースの構築やデータ分析に力を入れてきた研究者や企業からは、最先端の事例も生まれている。

2022年3月、希少疾病であるHER2陽性大腸がん患者に対する2種類のがん治療薬の併用療法が世界で初めて日本で承認された(図2)。この承認は、国立がん研究センター東病院が主導する産学連携全国がんゲノムスクリーニングプロジェクト「SCRUM-Japan」の研究成果に基づいている。

SCRUM-Japanが実施した医師主導治験において、ペルツズマブとトラスツズマブの併用療法によって全体の約30%でがんの明らかな縮小が認められた。一方、SCRUM-Japanのレジストリに登録されたHER2陽性大腸がん患者のうち、治験に参加した患者と同様の基準を満たした13例では従来の抗がん剤治療が行われていたが、腫瘍の縮小は認められなかった

今回は「レジストリデータが薬事承認の評価資料として使用された日本初の事例であり、世界的にもまれな事例となりました」と話すのは同病院の院長である大津敦(おおつ・あつし)氏。成功の理由については「SCRUM-Japanレジストリは開始時点から承認申請の外部対照群として利活用することを前提に、前向き(時間の進む方向に追跡する手法)にデータ収集・品質管理をしてきました。また、臨床情報に加えてさまざまなオミックス情報と、解析を実施するのに十分な検体数が収集されているため、診断薬開発等への応用や発展性が担保されていることも特徴の1つと考えています」と説明する。

また大津氏は「データ収集時点から医薬品医療機器総合機構(PMDA)の『レジストリ活用相談』を受けて、PMDAが求める品質を議論しながらレジストリ構築を進めてきました。ここをしっかりしておかないと、実際に活用する際にPMDAより承認申請には使えないと判断されてしまうので、データ収集時点での品質管理が重要なのです」と言う。

「大規模な臨床試験の実施が困難な状況で、リアルワールドエビデンス(RWE)を用いる可能性は議論されていましたが、日本は欧米より実績が少なかったのが実情です」と話すのは、両医薬品を製造・販売する中外製薬広報IR部の担当者。この承認について、「日本の具体的な事例として貴重であり、かつSCRUM-Japanレジストリから得たRWEを評価資料として利用した初めての薬事承認として画期的でした」と言う。SCRUM-Japanはこれまでに19種類の医薬品(24適応)が日本で薬事承認された実績があり、今回の承認はその1例である。

電子カルテに自由形式で書かれている薬剤の有用性や安全性に関わる情報(臨床アウトカム)を、人工知能(AI)の手法を使って抜き出す技術の開発も国内外で盛んになっている。「医療従事者が多くのデータを細かい項目別に入力することは大きな負担になります。それよりも、電子カルテにある患者さんの経過記録や検査結果に関するレポートから、私たちが必要なデータを見つける方が現実的な側面があります」と、ファイザー日本法人ヘルスアンドバリュー統括部でアウトカム&エビデンスアナリティクス担当部長を務める東郷香苗(とうごう・かなえ)氏は言う。

東郷氏らが行った研究では、まず患者の電子カルテデータに自然言語処理技術を適用し、がんの「縮小」など薬物治療の効果を判定するキーワードを抽出した。次に、文脈や複数のキーワードの関係性を判別して治療効果を抽出するモデルを構築した。すると、薬物治療効果だけでなく、遺伝子検査の結果も抽出することができた2,3。日本では臨床アウトカムを非構造化データから評価する手法は確立されていないが、今回の成果はその第一歩につながると期待されている。

ウエアラブルデバイスを用いたRWDの利活用では、FitBitやApple Watchなどで心拍や消費カロリーなどのデータを取得し健康維持に役立てる民間サービスが急成長しているが、医学的な深い分析ができる分野は限られている。「精度の高さが問われる睡眠の中途覚醒については分析につながるデータをRWDで取るのは難しく、ようやくアカデミアで少し進んできました」と東京大学大学院医学系研究科教授の上田泰己(うえだ・ひろき)氏は言う。

上田氏はビッグデータを用いて睡眠覚醒リズムなどを研究している。最近の成果には、睡眠時に特徴的な神経活動パターンの制御メカニズムの解明や、英国バイオバンクに登録された10万人のデータの睡眠パターン解析などがある4,5。また、上田氏が開発した機械学習アルゴリズムは世界トップの精度を誇る。自身がCTO(Chief Technology Officer)を務めるベンチャーではこの精度をさらに上げるため、教師データである病院での脳波データと、日常的な加速度データを継続的に取り続けるユニークな仕組みが作られている。

上田氏は、予防医学は日本の医療データの強みが生かせる分野であると考え、これまでの知見を睡眠健診に応用し始めている。「日本のように毎年数千万人が健康診断を受けるという取り組みを長年積み重ねている国はありません。このようなデータを利活用しながらRWDを構築していくと、世界的に見ても非常に魅力的なデータベースができると思います」。

データの品質管理

産学のRWEの専門家が「データの品質を確保するための国の動きとして貴重な取り組み」と話すのが、PMDAが2018年に運用を開始した「MID-NET」だ。

MID-NETは、23の協力医療機関の電子診療情報をデータベース化して解析し、医薬品の安全対策等に役立てるためのシステム。特に注力しているのが、国の安全対策や行政の判断根拠とするための信頼性確保である。協力医療機関の研究者や医療従事者と共に、標準コードの設定や必須データの整理、データの整合性・連携の確認などを綿密に行いながらシステム構築に取り組んでいる。

日本には既に「医薬品副作用データベース(JADER)」や世界最大級の医療データベース「レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)」が存在するが、MID-NETの特徴はレセプトだけではなく、電子カルテデータなど複数種別が利用でき、検査値データも利用可能であるところだ。国立病院機構との連携及び協力医療機関が10病院追加されることにより、来年度には1000万人を超えるデータベースになる。

製薬業界からはMID-NETのデータの多様性と質の高さが評価されているが、病院数が限られていることからデータ量や得られる結果の代表性が不足すること、転院後の追跡ができないなどの課題も指摘されている。利用料金も高額なことから行政以外の利活用は伸び悩み、運営開始当初の製薬企業による利活用数目標には到達できていない。ただ、これらはMID-NETに限った問題ではないと、ある製薬企業のファーマコビジランス担当者は話す。「これらの課題をクリアでき、かつMID-NETの強みを兼ね備えたデータベースは日本国内に存在しないことが、RWDの利活用が伸び悩んでいる要因の1つと考えています」。

PMDA執行役員(研究部門担当)の宇山佳明氏は、「ユーザーの意見を聞きながら使いやすいデータベースになるよう改善を進めています」と話す。「データの信頼性確保を大事にしているので、病院の数を増やすのは簡単ではありません。今後はMID-NETのノウハウを他のデータベースや医療機関と共有することで、日本全体のRWDの信頼性を高め、広範なRWDの活用へとつなげていきたいと思います」。

実際に、臨床研究中核病院に指定された14の病院が「Real World Evidence創出のための取組み(通称:臨中ネット)」と呼ばれるネットワークを形成しており、MID-NETの手法を参考としながらRWEの創出を可能にするデータベースの構築を目指している。

レジストリ利活用に向けて

患者レジストリを効率的な医療研究開発に役立てるため、厚生労働省は2015年に「クリニカル・イノベーション・ネットワーク(CIN)構想」を掲げた。国立国際医療研究センターを事業拠点として2017年から3年間で患者レジストリ検索システムを構築、現在も引き続き検索システムを運用しつつレジストリの整備・活用を支援している。CINには調査で存在が判明した国内約1200のレジストリの中から、情報提供を承諾した760レジストリの詳細情報が登録されている(図3)。

同センターの理事長である國土典宏(こくど・のりひろ)氏は、「日本の患者レジストリの多くは医療従事者やアカデミアの研究者がいわば手弁当で作成しており、世界に誇るべき情報量を備えています」と話す。けれども学術的な利用目的が中心であるため、企業との薬事利用や共同研究に経験がある患者レジストリは90件超にとどまる。CINは企業とのマッチングを今後も推進したいと述べている。

患者レジストリの二次利用が進まない課題の1つが、データ入力の主体となる医療従事者が多忙なため十分な時間やモチベーションを確保できないことだ。SCRUM-Japanのように二次利用を念頭にデータ構築できたりデータの代行入力を行ったりするスタッフを派遣できる患者レジストリは限られており、「見えない成果のために現場の医師に質の高いデータ入力というこれ以上の負担を強いるのは、何らかのインセンティブがなければ非常に厳しいです」と國土氏は言う。

國土氏が長年理事長を務めた日本肝癌研究会は、1960年代から10万例以上の患者データを蓄積し、「全国原発性肝癌追跡調査」と呼ばれる世界に類を見ない肝がんデータベースを作り上げている。これを基盤に新たな薬剤療法レジストリや前向き観察研究のためにRWEを収集するレジストリの構築が進んでいる。世界では進行肝がんの臨床試験が数多く行われており、薬剤の選択肢は今後10を超えると予想されている。薬剤使用の順序や組み合わせを見極めるために全ての組み合わせでランダム化比較試験(RCT)を行うのは非現実なため、今後はRWDを用いた研究が重要になるという。同学会はデータベースに入力する参加機関の医師に対し、厚生労働省の研究事業の研究費を利用してインセンティブをつけているが、このような取り組みはまだ少ない。

國土氏は、一時的な研究費だけでは長年続くレジストリを維持することは難しく、継続的な公的支援や創薬を視野に入れたより強固な産学連携が不可欠であると話す。さらに、「レジストリをどう利活用するかという意識改革も学会や研究者に必要です。患者さんの同意取得を個人情報に配慮しながらどこまで簡略化できるかも課題です」と言う。「そのためには私たちの取り組みから1つでも多く成功例を出し、国民の理解を得ていくことが大事だと思っています」。

本特集の第4回目(最終回)では、データ標準化や倫理問題、人材育成など日本が抱える大きな課題について考察する。

詳細は、コレクション「リアルワールドエビデンス」を参照されたい。


  • このコレクションの作成に当たって、モデルナ・ジャパン株式会社の財政支援に感謝いたします。全ての編集コンテンツについての責任は、Nature ダイジェストが単独で負っています。

註1:「次世代医療基盤法」の施行により、医療情報を個人が特定できないように加工する「匿名加工医療情報」と、一定の条件下において要配慮個人情報を本人の同意なしに第三者に提供することが可能となったが、データ復元の不可や特異値・希少疾患名の削除など厳しい制限が課せられた。2023年の同法の改正により、他の情報と照合しない限り、個人を特定できないよう加工した「仮名加工医療情報」の作成が可能となった。認定事業者のみ作成可能。氏名やIDなどの削除が必要だが、特異値や希少疾患名などの削除は不要。匿名加工医療情報をレセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)や介護保険総合データベースなどの公的データベースの情報と連結して利用することもできるようになった。しかし、死亡情報との連結ができないなどの課題も残されている。

図1: RWD利活用への道のり

2006年 レセプト請求に関する省令の改正。順次、オンラインでの請求を義務化
2009年 厚労省が「レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)」用データ収集開始
2015年 クリニカル・イノベーション・ネットワーク(CIN)構想が始動
2018年 「医薬品の製造販売後の調査及び試験の実施の基準に関する省令(GPSP省令)」が改正。製造販売後の安全性のモニタリングにおいてRWDの活用が認められる
2018年 「次世代医療基盤法」が施行。匿名加工医療情報の提供が可能に
2018年 PMDAが医療情報データベース「MID-NET」の運用開始
2019年 PMDAにレジストリ活用の相談窓口を設置
2020年 世界最大級の公的医療データベース「レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)」を民間事業者に利用開放
2021年 PMDAがレジストリデータを承認申請等に活用するための留意事項に関する通知を発出
2022年 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)が改正、「緊急承認制度」が追加される
2022年 内閣官房に医療DX推進本部を設置
2023年 次世代医療基盤法の改正法が施行。仮名加工医療情報の提供に加え、匿名加工医療情報と一部公的データベースの連結が可能に

(出典:PMDA、厚労省資料より作成)

図2:RWDを承認申請に利活用した医薬品例(2022年3月末時点)

販売名:一般名 承認年月 効能または効果 レジストリ(RWD)
マイオザイム点滴静注用:アルグルコシダーゼ アルファ(遺伝子組換え) 2007.4 糖原病Ⅱ型 米国における後ろ向きコホート研究の自然歴データ(生存率)を外部比較対照として利用
ノバスタンHI注、スロンノンHI注:アルガトロバン水和物 2011.5 ヘパリン起因性血小板減少症2型 治験実施施設において、抗トロンビン薬を使用しなかったHIT2型患者のデータを後ろ向きに収集し、外部比較対照として利用
プログラフカプセル:タクロリムス水和物 2013.6 多発性筋炎・皮膚筋炎に合併する間質性肺炎 本邦における後ろ向きコホート研究の自然歴データ(生存率)を外部比較対照として利用 註:RWDは承認の直接的な評価資料ではない。
ストレンジック皮下注:アスホターゼ アルファ 2015.8 低ホスファターゼ症 米国における後ろ向きコホート研究の自然歴データ(生存率)を外部比較対照として利用
パージェタ点滴静注:ペルツズマブ(遺伝子組換え) とハーセプチン注射用:トラスツズマブ(遺伝子組換え)の併用療法 2022.3 がん化学療法後に増悪したHER2陽性の治癒切除不能な進行・再発の結腸・直腸がん SCRUM-Japanレジストリの自然歴データを外部比較対照群として利用。本邦レジストリデータが薬事承認の評価資料として使用された初の事例。

出典:令和3年3月8日(月)第7回臨床開発環境整備推進会議 資料3-2から改変およびAMED、国立がん研究センター東病院、中外製薬資料より作成

図3:薬事利用を目的に含めて構築・運営されている代表的なレジストリ例

レジストリ名称(略称) 主な対象疾患 登録者数 (入力時)
デュシェンヌ型筋ジストロフィーを対象とした新たな
患者レジストリを構築するための研究:(Remudy-DMD) 筋ジストロフィー 120
Marker Assisted Selective Therapy in Rare cancers: Knowledge database Establishing registry project:(MASTER KEY) がん
(希少がん)
980
Cancer Genomic Screening Project for Individualized Medicine in Japan: (SCRUM-Japan) 12387
SCRUM-Japan疾患レジストリを活用した 新薬承認審査時の治験対照群データ作成のための 前向き多施設共同研究 (SCRUM-Japan Registry) 453
肺高血圧症患者レジストリ(JAPHR) 肺高血圧 2502
造血細胞移植および細胞治療の全国調査 血液疾患 118095

出典:国立国際医療研究センター資料

Nature ダイジェスト Vol. 20 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.202311.pr

参考文献

  1. Nakamura, Y. et al. Nature Medicine https://www.nature.com/articles/s41591-021-01553-w (2021).
  2. Araki, K. et al. Advances in Therapy https://doi.org/10.1007/s12325-022-02397-7 (2022).
  3. Araki, K. et al. Health and Technology https://doi.org/10.1007/s12553-023-00739-1 (2023)
  4. Yamada, T. et al. iScience https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.103873 (2022).
  5. Katori, M. et al. Proc. Natl. Acad. Sci. https://doi.org/10.1073/pnas.2116729119 (2022).